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スイス時計産業の歴史
 
     


マルチン・ルターの宗教改革がなかったらスイス時計もなかった!?

スイスの時計産業は16世紀半ばのジュネーブに始まりました。そのころヨーロッパでは塔時計のような大きな時計だけでなく家庭用の置時計や掛時計さらに持ち運び可能な携帯時計もすでに作られていましたが、当時の時計製造の中心地は北イタリア、南ドイツ、フランスでした。17世紀に入ってこれらの地域の時計製造は衰弱し、18世紀はじめにはジュネーブが時計製造中心地のひとつに成長したのです。

一体どうしてジュネーブに時計作りが栄えたのでしょうか?
この背景には16世紀のヨーロッパで展開された宗教改革(1517)が大きく影響しているのです。宗教改革とはルターがカトリック教会の腐敗を攻撃して始まったキリスト教改革運動です。(さあ、世界史の授業を思いだして!)改革運動は全ヨーロッパに波及し、フランス語圏での宗教改革中心人物であったカルバンはジュネーブで改革ののろしを上げました(1541)。フランスではカルバン派の新教徒(ユグノーと呼ばれました)とカトリック教会との対立は内乱に発展してしまいます(ユグノー戦争1562−1598)。この戦争は、新教徒の信仰の自由を認めるナントの勅令(1598)がフランス国王より出されたことにより終結しましたが、混乱の間に多くのユグノーは宗教的迫害から逃れて国外へ避難していったのです。彼らの多くが逃げ込んだのは「カルバンの町」ジュネーブでした。そして、ユグノーの多くは絹織物、染色技術、印刷術、そして時計製造術を身に付けた手工業者でした。

一方、当時のジュネーブでは優れた宝飾細工品が作られていました。しかしカルバンの改革は教会の制度のみならず市民生活にまで及ぶもので装飾品などの贅沢品は厳しく制限されていきました。そのため生計をたてることが難しくなっていたジュネーブの金細工師達は時計製造技術を持ったユグノーの助けを借りて時計作りに転じ、その天賦の才を時計作りに投入していくことになるのです。

17世紀後半になってナントの勅令が結局廃止された為(1685)、再び多くのユグノー達がジュネーブへ逃げ込み、すでに組織化されていたジュネーブの時計工業はさらにふくらんでいきました。やがてカルバン派の戒律が緩められると制限されていた装飾工芸は復活し、時計作りの技術と結合して美しい装飾を施した時計がジュネーブを代表する工芸として定着していきました。

18世紀に入るとジュネーブの時計作りはジュラ山脈に沿って広がっていき、19世紀に向けては自動巻きの発明、永久カレンダー、フライバッククロノグラフなどの複雑機構が相次いで作りだされ、スイスは時計王国への地位を着実に築いて行ったのです。

 

 

 
         
     

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