ジラール・ペルゴ - 日本に初めて輸入されたスイス時計

2月7日、ジラールペルゴは6月19日に開催する「イマジンジャパン」展示会のためニューシャテル民族博物館との提携を発表した。 スイスと日本の国交樹立150周年を記念する歴史的に重要な日である2月6日にニューシャーテル民族博物館によって準備されている展示会の紹介の一部が公開された。

19世紀の中頃、日出る国にスイス時計の第一歩をしるした中心的人物であるフランソワ・ペルゴによって日本に輸入された懐中時計が期間中、展示された。 ジラール・ペルゴ博物館の財産であるこれらの時計はラショードフォンと日本を共に結びつける貴重な証しである。

国交樹立150周年の祝賀の一環として、ジラール・ペルゴはまた、高級時計財団(FHH)が東京で主催した「時を知る:時計の歴史」展示会で同じ運命を経験した他の時計を提供している。150年前、江戸(東京)の長応寺にてスイスの使節団と旧日本政府の代表が修好通商条約に調印した。スイスと日本の特別な関係の中心には、二国間の協定が外交と経済の成功にあった。 スイス時計メーカーは正式に日本市場に製品を輸出することが可能となった。

この任務の責任者はスイス連邦内閣より遣日使節団長として任命された、ラショード・フォンののエメ・アンベール(1819-1900)であった。1863年4月に日本に上陸し、日本の当局が交渉に合意するまで1年近く、アンベールは待つことを余儀なくされた。

アンベールと彼のスイスの仲間である時計師のフランソワ・ペルゴは日本で歓迎され、日本の社会においてフランス語を話す最も古い住人の一人であった。 フランソワ・ペルゴは1834年ル・ロックルの大手時計商人の家に生まれ、マリー・ペルゴの弟である。マリー・ペルゴは夫コンスタント・ジラルドと共にジラール・ペルゴを設立し、二人の姓を組み合わせた社名は今も引き継がれている。1859年に フランソワ・ペルゴはアジアへ向けスイスを出発した。 輸出拠点を設置する為、時計製造業組合から委託され、1860年に横浜に店を立ち上げた。ちょうど修好通商条約の調印の2、3年前のことで日出る国で設立された初のスイス時計商人となった。 1865年、ル・ロックル出身のフランソワ・ペルゴは横浜にF.Perregaux & Co 社を設立し、1877年に亡くなるまでジラール・ペルゴの正規代理店を務めた。

April 10, 2014